「学問のすすめ」と勉強術

福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んでいたら以下のような文にぶつかりました。*1

学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫(くふう)なかるべからず。オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。この二ヵ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。

福沢諭吉 学問のすすめ

だいたいこんな意味だと思って読みました。

学問をやるのに読書だけしていては駄目だ。精神の働きを活用するようになれなくては。
そのためにはいろいろな工夫が必要だ。たとえば以下のような。
1.物事を観察観察する
2.物事の理由や原因を考えて自分の説をつくる
3.本を読む
4.本を書く
5.ほかの人と意見交換をする
6.ほかの人に向って意見を述べる
これらのようなことをして初めて学問を勉強しているといえるのだ。
すなわち、1,2,3は情報のインプット、5は情報の交換、4,6は情報のアウトプットの手段である。

こうしてみると最近の勉強法の本やブログなどでも同じようなことが言われているように思えます。
いま勉強法を説いている人たちも誰かの影響を受けて自分の勉強法を確立したと思われるのでその源流を明治の初めまでたどれるのだなあとちょっと感心しました。
あと最近はインターネットで情報も素早く手に入れることができ、(IT系の勉強に関しては)勉強会などが多数開催されて発表の機会も多くなり、ブログを書くことも気軽にできるので多くの人が学問を行うのに適した時代になってきたのだなあと思いました。

*1:先日テレビを見ていたら新渡戸稲造を紹介する番組が放送されていて、昔の日本人が「日本人とは何か」をどのように考えていたのか、に興味がわいた。とりあえず彼の本を読んでみようと思ってamazonを検索したりしていたら「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の欄に「学問のすすめ」が出てきた。短絡的に「新渡戸より福沢でしょ」と思って青空文庫で読み始めた。